生まれも育ちも奈良県宇陀市榛原(旧榛原町)です。
現在、宇陀市議会議員をさせて頂いています。
49歳の時、地元自治会からお声をかけて頂きましたが、子育て奮闘真っ只中のことで家内、実家の父母も猛反対でした。しかし、地元の先輩や社長の後押しもあって、旧榛原町議会議員補欠選挙に立候補、周囲の応援も頂いて無事当選しました。以後、平成18年町村合併後の宇陀市議会議員として現在まで連続8回当選しました。今、振り返ると奇跡に近いことだと冷や汗ものです。
その間、平成26年、27年と二期連続議長に就任、宇陀市誕生10周年記念式典を議会代表として迎えることができました。また同時に、ご褒美なのか宮内庁主催の赤坂御苑春の園遊会に奈良県内で知事他5人の中に招待され夫婦で出席しました。令和6年には3回目の議長に就任、同時に奈良県市議会議長会会長を務めさせて頂きました。現在は、市議会の最古参議員として議会改革特別委員長を務めています。市民に開かれた透明性のある議会を目指すことで、市政運営の健全化・正常化を追い求めて同志としっかりと頑張っています。
縁あって、桃山学院大学へ入学当時は、安保闘争やベトナムに平和をと学生運動が全国的に吹き荒れていました。北野田キャンパスの壁には落書きがあってヘルメットを被った全学連の学生等に授業が占拠され講義が受けられないことが度々あり苦い思い出でした。それでも何とか無事に4年間で卒業できました。もともと志望は哲学科で関西の哲学科のある大学をいくつか受験しましたがすべて不合格でした。浪人後、縁あった桃山学院の社会学部社会学科で「文学・思想コース」を専攻、卒論は「パッペンハイムの近代人の疎外について(今崎秀一専門ゼミ)」100枚ほど提出、一応、哲学志望の夢は叶ったものと自負しています。
クラブ活動は4年間、「文学研究会」に所属、同人誌「メタセコイア」に小説や詩、俳句等を投稿しました。関西大や同志社大のサークル間の交流もあり楽しかったです。4年間は学内の交流よりもアルバイト(約15職種ほど経験―家庭教師、大阪証券代行で株券受渡し、電通リサーチ、フジカラーの販売、大日本印刷工場、新幹線の車内販売、ゴルフニュース記者、日刊工業新聞の校閲、デパートの中元歳暮の送状書き、旅行ツアーの添乗員、地下鉄沿線の広告営業、エキストラなど)を通じて他大学の気の合う仲間との愉快な交流にも恵まれました。特に仲良しだった友人とは海外旅行なども経験、今も家族ぐるみでお付き合いさせて頂いています。こうした体験によって自分の好きなシゴトを見つけ、コミュニケーション能力や交渉力が培われたのではないかと思っています。
卒業後なぜか中堅ゼネコンに就職しましたが、営業そのものがハードで長続きしそうもないと思って5か月で退職しました。その後、縁あって広告会社に転職、営業の道を30年間歩んできました。営業職はノルマがあって厳しくしんどいシゴトでしたが、毎日いろんな人と出会いがあっていろんなことが学べるので僕にとっては最高に楽しく学べるフィールドワークでした。また、親しくなると飲みに行ったり、ゴルフをしたりの関係に深まりシゴトがやりやすくなったのも大きなメリットでした。
結婚は29歳の時で子どもは女の子が欲しかったのですが、3人の息子を授かりました。
次男、三男は結婚、息子の選んだ嫁2人が「お父さん」と呼んでくれるので愛娘ができた思いで幸せです。孫はもうすぐ生まれる子も含むと3人になります。毎日を自然体で相田みつおのことば「ムリをしないで怠けない」をモットーに明るく朗らかに暮らせることができたらサイコーに素敵だと願いながら過ごしています。
⃝後輩へメッセージ
「学生時代に、自分ならやれそうだなと思われる好きなシゴトを見つけて真っすぐチャレンジしてください。自分の人生は自分で決める。」
⃝同窓会へメッセージ
桃山の学風は「束縛のない自由さ」で「伸び伸びと明るく前向き」かな。僕の周りを見ても尊敬に値する素晴らしい先輩、同輩、後輩がわんさかいます。そういう方々が実学、即戦力の桃山人を育てていると思っています。工学部ができたので文理融合で益々面白く注目されると期待しています。